文部科学省は十四日、二〇七七年度から全国の小学校第三学年以上に 「忘却科」 を必修教科として新設すると発表した。週二時間。教科書は全六巻。成績評価は「何を忘れたか」ではなく「 何を忘れる判断をしたか 」のプロセスで行う。通知表には五段階の 「忘却力」 が記載される。
発端は、二〇六〇年代に爆発的に普及した 補助脳デバイス「ニューロ・アーカイブ」 だった。側頭葉に隣接して埋め込まれるこの装置は、装着者の見聞きしたすべての情報を 完全記録 し、任意の瞬間を高精細に再生できる。二〇七二年時点で国内の十五歳以上の装着率は 八十七パーセント 。「忘れる」という人間の基本機能は、事実上オプショナルになった。
だが、忘れなくなった社会は、誰も予想しなかった病を発症した。
国立精神・神経医療研究センターの榊原芳樹所長は「 完全記憶症候群(トータル・リコール・シンドローム) 」と名づけたその病態をこう説明する。「すべてを覚えている人間は、すべてに 等しく苦しむ 。十年前の些細な失言、二十年前の恋人の表情、幼少期の恥ずかしい記憶——通常の脳はこれらを自然に薄めることで精神の均衡を保っている。補助脳はその 自然治癒のメカニズム を無効化してしまった」。二〇七四年の厚労省調査では、補助脳装着者の 三十四パーセント が過去の記憶に起因する慢性的な不安や抑うつを訴えており、二十代の自殺率は補助脳普及前の 一・八倍 に上昇していた。
さらに深刻だったのは 創造性の枯渇 だった。東京藝術大学の大友真紀子教授は二〇七五年の論文で、補助脳世代の美術作品と非装着世代の作品を比較分析し、次の結論を導いた。「補助脳世代の作品は技術的に完璧だが、 意外性がない 。なぜなら、彼らはすべての先行作品を完全に記憶しているからだ。既知の要素を無意識に回避しようとするあまり、かえって 既知の枠組み から逃れられない。創造とは、覚えていることの再構成ではなく、 忘れたことの隙間 から生まれる飛躍なのだ」。
全日本忘却士協会の設立は二〇七四年。初代会長に就任した元文科事務次官の望月英治氏は、設立趣意書でこう記した。「二十世紀の教育は『いかに覚えるか』を教えた。二十一世紀前半は『いかに検索するか』を教えた。そして今、私たちは 『いかに忘れるか』 を教えなければならない。これは退行ではない。記憶が無限になった世界における、 人間の新しい知恵 だ」。
忘却科のカリキュラムは三つの柱で構成される。
第一の柱は 「記憶の選別」 。児童は毎日の終わりに「今日覚えたことの中で、明日以降は必要ないもの」をリストアップし、補助脳から 意図的に削除 する訓練を行う。初期の授業では、大半の児童が「何を消していいかわからない」と戸惑うという。完全記憶に慣れた脳にとって、情報の価値判断は未経験の認知負荷だからだ。
第二の柱は 「曖昧さの訓練」 。正確な記憶を意図的にぼかし、「だいたいこんな感じだった」という 不正確な想起 を練習する。これは矛盾に見えるが、脳科学的な裏付けがある。補助脳なしで情報を再構成する際の「 創造的誤記憶 」——本来の記憶と異なるが、そこに新しい意味が生まれる現象——が、創造性の源泉であることが複数の研究で確認されている。
第三の柱は 「沈黙の時間」 。補助脳を一時停止し、何の情報もインプットされない状態で 三十分間ただ座る 。児童はこの時間を「 空っぽタイム 」と呼ぶ。保護者会では「子どもにぼーっとさせるために学校に行かせているのではない」と批判が出たが、導入校での試験データは反論の余地がなかった。空っぽタイムを六か月間実施したクラスは、創造性テストのスコアが 二十七パーセント上昇 し、不安尺度が 三十一パーセント低下 した。
だが、忘却科には根深い反対も存在する。経済産業省は「記憶量は生産性と正の相関がある。忘却を推奨することは国家の競争力を毀損する」と非公式に懸念を表明した。補助脳の最大手メーカー メモリアル・テクノロジーズ社 は「忘却科は我が社の製品価値を否定する国策だ」として、教科書の内容に関する検定プロセスに異議を申し立てている。同社の広報担当者は「 覚えていることは力だ。忘れることは損失だ。 この単純な事実を、なぜ文科省は子どもたちに教えないのか」と反論する。
一方で、予想外の支持者も現れた。認知症研究の第一人者である長田浩一郎・慶應義塾大学名誉教授だ。「皮肉なことに、認知症の本質を理解するのに五十年かかった。脳は忘れるようにできている。忘れることは 機能 であって 故障 ではない。補助脳がそれを証明してくれた。忘却科はある意味、 脳の本来の設計思想に立ち返る教育 だ」。
初年度の教科書第一巻の冒頭には、こう記されている——「この教科書の内容は、忘れてもかまいません。 大切なのは、忘れることを怖がらなくなることです 」。すべてを記憶できる時代に、もっとも高度な知的行為は「手放すこと」なのかもしれない。子どもたちが最初に学ぶ忘却は、きっと この教科書のページ だろう。


