決裁の履歴が残らず、アクセスログもなく、誰の目も届かない場所に、自分だけが立っている。そこで目の前に置かれた判断は、いつもと同じ判断になるだろうか。
こう聞かれて、即座に「なる」と答えられる人は多くない。答えられないこと自体が、2400年前に書かれた一つの物語の出発点になっている。
羊飼いが見つけた指輪
物語を語るのは、プラトンの対話篇『国家』第2巻に登場するグラウコンだ(359a〜360d)。ソクラテスに向かって、彼はあえて不正の側に立って議論を挑む。人が正しく振る舞っているのは、不正が見つかったときの罰や悪評を恐れているからにすぎないのではないか、という挑発である。
その証拠として持ち出されるのが、リュディアの王に仕える羊飼いギュゲスの話だ。
嵐と地震のあと、羊飼いが群れを連れていた場所の地面が裂ける。裂け目をのぞくと、青銅の馬が横たわり、その腹の中に、金の指輪をはめた巨大な遺体があった。羊飼いは指輪だけを抜き取って持ち帰る。
やがて、指輪の玉受けを手の内側へ回すと、自分の姿が周りから見えなくなることに気づく。外側に戻せば姿は現れる。
使い方を知った羊飼いは、使者として王のもとへ送られる機会を作り、宮殿で王妃を誘惑し、彼女と組んで王を殺して王位を奪う。
ここまで語ったうえで、グラウコンは問いを置く。同じ指輪が二つあり、一つを正しい人が、もう一つを不正な人が持ったとする。正しい人だけが、見つからないと分かっていてもなお、他人のものに手を出さずにいられるだろうか。指輪をはめた瞬間、二人の行動は区別がつかなくなるのではないか。
この思考実験が切り離しているもの
ギュゲスの指輪の仕掛けは単純で、「行為の結果」と「他人の目に触れること」を切り離すことにある。
ふだんの私たちの正直さには、さまざまな支えがついている。ルールがある、監査がある、同僚が見ている、評判が傷つく。この支えを全部外したとき、なお残る部分が、その人自身の正しさだ。グラウコンは、外したら何も残らないのではないか、と言う。
ソクラテスの側は、これに対して『国家』の残りの大部分を使って答える。要点だけを言うと、正しさは魂の健やかな状態そのものだ、という立場である。不正を働いた人は、たとえ誰にも知られなくても、自分の内側が壊れていく、と彼は論じる。この応答に説得力を感じるかどうかは、読む人によって分かれる。
ちなみに、ギュゲスという人物はヘロドトス『歴史』第1巻にも登場するが、そこでは指輪ではなく、王に強いられて王妃の姿を見てしまった経緯から王位に至る、別の筋書きで語られている。
組織に置き換えると
この問いは、個人の道徳だけの話ではない。組織を運営する側には、もう一段ちがう形で刺さる。
仕組みは、指輪の存在を前提に設計されている。 承認フロー、職務分掌、ログの保全、複数人によるチェックといった内部統制は、突き詰めれば「誰も見ていなければ、人は間違えるかもしれない」という仮定の上に立っている。これは人間不信の表明ではない。善良な人でも、疲れているとき、追い込まれているとき、一度だけなら大丈夫だと思う瞬間があるからだ。仕組みは、その瞬間に本人を守るためにある。
権限が大きい人ほど、指輪に近い場所にいる。 承認の最終権者、システムの管理者、決裁の鍵を持つ経営者は、周りから見えにくい判断を日常的に下している。見えにくさは権限に付いてくる性質で、本人の人柄とは別の話だ。だからこそ、権限の集中している人に対する牽制が、その人の誠実さへの信頼と矛盾しない形で置かれている必要がある。
「見られている」と「正しい」は別の状態である。 監視を強めれば不正は減るが、それは行動が変わっただけで、判断の基準が育ったとは限らない。監視のないところで別の行動が出るなら、指輪の話がそのまま起きている。仕組みで守る部分と、基準を本人の中に育てる部分は、どちらか一方では足りない。
問いを現場に戻す
ギュゲスの指輪は、答えを出すための思考実験というより、自分の組織の弱い場所を探すための道具として使うのがよい。次の問いを、チームで一度だけ声に出して話してみてほしい。
- 私たちの組織で、いちばん「見られていない」判断はどこにあるか
- その判断を下す人に、牽制は働いているか。それは、その人への信頼を損なわない形になっているか
- 誰も見ていない場面で、私たちが守りたい基準は何か。それを言葉にして共有できているか
3つめの問いが最も難しい。仕組みは作れても、基準の共有は、日々の判断を言葉にして重ねることでしか育たないからだ。
指輪は、はめる前から問いになっている
グラウコンの物語でおもしろいのは、羊飼いが最初から悪人として描かれていないことだ。彼はただ羊を飼っていて、たまたま指輪を拾った。悪へ向かうのは、姿を消せると知ってからである。
指輪をはめたあとの行動も、指輪が手元にあると知りながらどんな場を作って働くのかも、ともに問われている。見えない場所を減らす設計と、見えない場所でも変わらない基準の両方を、組織はどこまで用意できているだろうか。
関連する思索
参考文献
- プラトン『国家』第2巻 359a–360d(グラウコンによるギュゲスの物語)
- ヘロドトス『歴史』第1巻 8–12(ギュゲスと王カンダウレスの逸話)