これは2035年9月1日からの報告です。
農地を持たない農業が始まった
2035年9月1日、東京都内の量販店チェーン「フードワールド」が、全店舗で培養牛肉製品の通常価格販売を開始した。従来の牛肉に比べて平均14%高い価格設定にもかかわらず、開店前から行列ができた。
販売開始から48時間で用意した在庫が完売した。
細胞農業——動物から採取した幹細胞をバイオリアクターで増殖・分化させ、筋肉組織を大量培養する技術——が商業規模に達したのは2031年のことだった。当初は価格の高さから高級レストランや航空機内食に限定されていたが、培養コストの急低下と政府の補助金制度の整備が後押しし、一般消費者市場への普及が加速した。
農地のいらない農業。動物を殺さない畜産。温室効果ガス排出量を従来比90%削減できるタンパク質生産——技術的な数字だけを並べると、これは完璧な解決策に見える。
しかし、「解決策」と「答え」は違う。
2031年の転換点
合成生物学が食品産業に本格参入したのは、2031年の「バイオフード革命法」の施行がきっかけだった。EU、日本、カナダが協調して策定したこの法律は、培養肉の製造・流通・表示に関する統一基準を定めた。
同時に、遺伝子編集技術CRISPRを応用した「精密発酵」が急速に普及した。酵母菌の遺伝子を書き換えて特定のタンパク質を大量生産させる技術は、チーズ、卵白、シルクなどの動物由来成分を工場で製造することを可能にした。乳牛を一頭も使わずに「牛乳タンパク」を作る会社が、2035年現在、日本国内だけで17社ある。
大豆ミルクやアーモンドミルクが「植物性の代替品」として出発したのとは異なる。精密発酵で作られたホエイプロテインは、分子レベルで牛のものと同一だ。「本物に似たもの」ではなく、「本物と同じもの」が、牛なしに作られる。
ここで問いが立ち現れる。
分子が同一であれば、それは「同じ食べ物」なのか。
消えた農村の問い
合成生物学フードの普及は、農業の風景を変えた。
日本の農家人口は2020年代を通じて減少を続け、2035年時点で120万人を下回った。これは半世紀前の10分の1以下だ。培養肉の普及は畜産農家への打撃をもたらしたが、同時に新しい職業も生んだ。バイオリアクター技術者、細胞株の品質管理者、発酵設計のエンジニア——白衣と試験管が、農作業着と鍬の代わりになりつつある。
しかし何かが失われている。何が、というのが難しい。
農業は食料生産の技術であると同時に、景観であり、文化であり、季節の手触りを感じる様式でもあった。稲刈りの秋の匂い、牧場の朝の霧、土の重さ——これらは「非効率」という言葉で切り捨てられるには、あまりに多くのものを含んでいた。
2035年のデータが示す数字は鮮明だ。培養牛肉1キログラムの生産に必要な土地面積は、牧草牛肉のそれのおよそ1%。温室効果ガス排出量は92%減。水使用量は96%減。
数字は圧倒的に正しい。それでも、「正しい」ことと「良い」ことのあいだには、埋まらない溝がある気がする。
「本物」とは何だったのか
法律の世界では「本物」の定義が問われている。
日本農水省は2033年に「培養肉表示ガイドライン」を改定し、培養牛肉の商品名に「牛肉」の文字を使うことを認めた。国際食品規格委員会(コーデックス委員会)も同年、培養肉を独立した食品カテゴリとして認定した。
しかしオーストラリアと米国のテキサス州は反発した。「牛肉」の名称は牧場で育ち屠殺された動物の肉にのみ使用可能だとする法律が、依然として有効だ。同じ分子で構成されたものが、地域によって「牛肉」であったり「牛肉でない」ものになったりする。
名前の問題は、認識の問題だ。そして認識の問題は、現実の問題だ。
ある思考実験がある。あなたが愛する人が長年住んだ家が火事で全焼し、その後完全に同じ設計で、同じ素材を使って再建されたとしたら——それは「同じ家」なのか。
培養肉はこの問いをリアルに突き付ける。構成分子が同じならば、それは「同じ」なのか。そして「同じ」であることが証明されても、私たちの感覚は「同じだ」と感じるのか。
食べることの政治
合成生物学フードは純粋な技術革新ではない。それは政治だ。
農業補助金の再配分、食料安全保障の再定義、途上国の農業経済への影響——細胞農業の普及は、世界の食料システムの権力構造を根底から揺さぶる。従来の農業は土地を持つ者が強かった。合成生物学フードの世界では、細胞株の知的財産を持つ者、バイオリアクターの製造技術を持つ者、発酵プロセスを設計できる者が強い。
アグリビジネスの巨大化から農業を守ろうとした運動が、今度は合成生物学企業の寡占に対する警戒に向かっている。プレイヤーが変わっても、問いの構造は変わらない。誰が食の生産を支配するのか。その答えが、誰が生きられるかを決める。
2035年9月1日の東京のスーパーで、売り切れた培養牛肉の棚の前に立つ顧客の一人は、こう言ったらしい。
「安くて環境にいいのはわかってる。でもなんかまだ、最初の一口が怖いんだよな」。
その「怖い」という感覚は、非合理なのか。
それとも、言語化できていないだけで、何か本質的なことを感知しているのか。
本記事は2035年9月1日時点の想定状況を基にした思索的ジャーナリズムです。