「解けない」のではなく「解き方が存在しない」
1973年、都市計画家の ホルスト・リッテル と メルヴィン・ウェバー は一つの論文を発表した。社会的な問題の多くは、工学的な問題とは根本的に異なる性質を持つ——彼らはその種の問題を 「ウィキッド問題(Wicked Problem)」 と呼んだ。
「ウィキッド」は「悪質な」という意味ではなく、 「手に負えない・定式化できない」 という技術的な意味で使われている。対義語は「テイム(tame)」、つまり「飼いならされた」問題だ。
テイムな問題は、解決策が存在し、解いたかどうかを検証できる。数学の問題、橋の設計、バグの修正——これらは難しくても「テイム」だ。
ウィキッド問題は違う。 問題の定義そのものが、誰の視点に立つかによって変わる。 そして解決策を試みるたびに、問題の形が変わる。
ウィキッド問題の10の特性
リッテルとウェバーは、ウィキッド問題の特性を10個にまとめた。
1. 決定的な定式化がない。 問題を「正しく定義する」ことが、すでに問題の一部だ。気候変動を「エネルギー問題」と定義するか「貧困問題」と定義するかで、解決策の方向が180度変わる。
2. 「止め時」がない。 テイムな問題には解があり、解けたら終わる。ウィキッド問題は「もっとよくできる」が際限なく続く。
3. 解は正誤ではなく「より良い/より悪い」だ。 気候変動対策に「正解」はない。あるのは「この政策よりあの政策の方が少ない害をもたらす」という相対的判断だ。
4. 「試してみる」が許されない。 核廃棄物処理政策を試行したとき、失敗の結果は数万年後にしか現れない。やり直しはきかない。
5. 解決策は一対一対応しない。 ある解決策は別の問題を生む。貧困を「現金給付」で解決しようとすると、物価が上がるかもしれない。
6. 説明可能な原因がない。 都市の犯罪率が高い原因は何か。貧困か、教育か、住宅か、差別か。すべてが絡み合い、一つの根本原因を取り出せない。
7. どのウィキッド問題も一度限りだ。 似た問題に見えても、社会的文脈・歴史・関係者が異なるため、前回の解法は通用しない。
8. 問題は独自の問題の「症状」だ。 ホームレスの増加は何の症状か。住宅供給不足か、精神医療の崩壊か、最低賃金の問題か。症状に対処しても根は変わらない。
9. 問題の説明方法が解決策を決定する。 「テロリズム」を「犯罪」と定義するか「戦争行為」と定義するかで、対応は司法か軍事かに分かれる。
10. 間違いを犯す余裕がない。 プランナーは自分の介入の結果に責任を負う。失敗実験は許されない——しかし、解決策を試さないとわからない。
ウィキッドさへの対処法
リッテルとウェバーの論文は、ウィキッド問題の「解き方」を提示しなかった。なぜなら、「解き方が存在しない」ことがウィキッド問題の定義だからだ。
しかし、実践から導かれたアプローチはいくつかある。
関係者の多様性を最大化する。 問題を「定義」する権利を一つの主体に独占させない。気候変動政策に、科学者だけでなく農家・先住民・企業・若者世代を巻き込む理由はここにある。
小さく・可逆的に実験する。 大規模な施策を一気に展開するのではなく、影響を観察しながら修正できる規模で介入する。
「正しい解」を求めるのをやめる。 ウィキッド問題に向き合う者に求められるのは、 継続的に「より良い状態」に近づけ続けるプロセスへのコミットメント だ。
思考の転換点
ウィキッド問題の概念が示すのは、私たちが「問題」と呼んでいるものの多くは、 解くべきパズルではなく、向き合い続けるべき緊張関係 だということだ。
組織の文化問題、家族の関係、自分自身の生き方——これらは「解決」するものではなく、 絶えず問い直し、調整し続けるもの かもしれない。
ウィキッドな問いへの最初のステップは、「解ける」という前提を手放すことだ。
参考文献
- Rittel, H. W. J., & Webber, M. M. (1973). Dilemmas in a general theory of planning. Policy Sciences, 4(2), 155-169. — 「ウィキッド問題」の概念を提唱したリッテルとウェバーの原典論文
- Buchanan, R. (1992). Wicked problems in design thinking. Design Issues, 8(2), 5-21. — ウィキッド問題をデザイン思考に接続したリチャード・バカナンの論文
- Camillus, J. C. (2008). Strategy as a wicked problem. Harvard Business Review, 86(5), 98-106. — ウィキッド問題の概念を経営戦略に応用した実践的論文
- Meadows, D. H. (2008). Thinking in Systems: A Primer. Chelsea Green Publishing. — ウィキッド問題が埋め込まれているシステムの動態を理解するための入門書