「なぜこんなに甘い?」
1965年12月、イリノイ州スコーキー。G.D.サール社(G.D. Searle & Company)の研究室で、ジェームズ・M・シュラッターは胃潰瘍治療薬の研究をしていた。
正確に言えば、胃ホルモン「ガストリン」の四ペプチド類似体を合成しようとしていた。ガストリンは胃酸分泌に関わるホルモンで、その働きを制御できれば新しい抗潰瘍薬になりうる、という仮説だった。合成の途中段階として、シュラッターは L-アスパラギン酸 と L-フェニルアラニン という2種類のアミノ酸を結合させ、メチルエステル化した中間体——L-アスパルチル-L-フェニルアラニンメチルエステル——を作っていた。
ある午後、シュラッターはフラスコを持ち直そうとして、縁についた白い粉が指についた。そのまま実験を続けながら、紙片を拾い上げようとした拍子に、指を舐めた。
途方もない甘さだった。
砂糖より、はるかに甘い。
シュラッターは手を止めた。その感覚に、何か異常なものを感じたからだ——「実験室の化学物質が甘いはずがない」という思い込みが崩れる瞬間の、奇妙な静止。
二つのアミノ酸が持つ意外な顔
この中間体の化学名は長く、論文では通常「アスパルテーム(aspartame)」と略記される。構造上は、自然界に存在するアミノ酸2種を組み合わせたジペプチドのメチルエステルだ。
アミノ酸そのものは甘くない。むしろL-アスパラギン酸はわずかに酸味を持ち、L-フェニルアラニンはほろ苦い。ところがこの2つを特定の方向で結合させ、フェニルアラニン側のカルボキシル基をメチルエステル化すると、甘味受容体に劇的にフィットする三次元形状が生まれる。
砂糖(スクロース)の 180〜200倍の甘さ を持ちながら、カロリーはほぼゼロに等しい(グラム当たり4kcalだが使用量が極微量のため実質無視できる)。しかも体内に入ると通常のアミノ酸として代謝される——これが後の商業的価値の核心になる。
シュラッターが1966年4月18日にG.D.サール社の代理として特許申請した化合物は、1970年1月27日に米国特許庁から特許を取得した(US Patent 3,492,131)。
発見から承認まで:16年の空白
科学的発見と社会的受容の間に、しばしば大きな溝がある。アスパルテームの場合、その溝は16年だった。
1974年、当時のFDA長官アレクサンダー・シュミットは乾燥食品への使用を初承認した。しかしほぼ同時に、精神科医ジョン・オルニーと消費者運動家ジェームズ・ターナーが公聴会を申請した。動物実験で脳腫瘍との関連を示唆するデータがある、というオルニーの主張だった。
1980年、FDAの「公開調査委員会(PBOI)」はオルニーの主張を完全には支持しなかったが、脳腫瘍との関係についてさらなる研究が必要と判断し、承認を取り消した。
翌1981年、状況が変わった。
ロナルド・レーガンが大統領に就任した。G.D.サール社のCEOだった ドナルド・ラムズフェルド(後の国防長官)は、新政権との密接な関係を活かし、新FDA長官アーサー・ハル・ヘイズ・ジュニアの任命に影響力を行使したとされる。
ヘイズは5人の科学委員会を設置したが、委員会は3対2でPBOIの判断を支持——承認には否定的だった。ヘイズは6人目の委員を追加した。投票は3対3となり、最終的にヘイズ自身が賛成に票を投じた。
1981年7月18日、アスパルテームは乾燥食品への使用が承認された。1983年には清涼飲料水への使用も承認され、「ニュートラスウィート(NutraSweet)」の商品名で急速に普及した。
ヘイズは1983年9月、業界団体から私用ジェット機の提供を受けていたことなどが問題視され、FDAを辞職した。退職後、彼はG.D.サール社のPR代理店であるバーソン・マーステラーに上級医療アドバイザーとして就職した。
この一連の経緯は、米国における食品添加物規制の政治的脆弱性を示すケーススタディとして、今日まで語り継がれている。
フェニルケトン尿症という盲点
アスパルテームの分子には、一つの重大な脆弱性がある。
フェニルアラニン を含むことだ。
フェニルケトン尿症(PKU:Phenylketonuria)は、1934年にノルウェーの医師アスビョルン・フェリング(Asbjørn Følling)が初めて記載した遺伝性代謝疾患だ。フェニルアラニンをチロシンに変換する酵素「フェニルアラニン水酸化酵素(PAH: phenylalanine hydroxylase)」が先天的に機能しないため、フェニルアラニンが体内に蓄積する。未治療の場合、知的障害や痙攣を引き起こす。
日本では出生児の約1/70,000人、欧米では1/10,000〜1/15,000人に発生するとされる。
アスパルテームを代謝すると、フェニルアラニンが遊離する。PKU患者にとってこれは毒性を持つ。このため、米国ではアスパルテームを含む全製品に「フェニルアラニンを含む(Contains Phenylalanine)」という警告表示が義務付けられている。
「偶然の発見」が持つ影は、有用性だけでなく、例外的なリスクの存在によっても形成される。発見者シュラッターが指を舐めた瞬間、PKU患者への影響まで意識していたはずがない。しかし分子は中立だ——使われ方が意味を決める。
2023年、WHO/IARCの「再評価」
2023年7月、WHO傘下の国際がん研究機関(IARC)はアスパルテームを 「ヒトに対して発がん性がある可能性がある」(グループ2B) に分類した。分類の根拠は肝細胞癌との関連を示す「限定的な証拠(limited evidence)」だった。
同時に発表されたWHO/JECFAの評価では、現行の1日許容摂取量(体重1kgあたり40mg)は変更しないと結論した。
この分類は、しばしば誤解を生む。IARCの「グループ2B」は 「発がんハザードの可能性」 を示すに過ぎず、実際の暴露量でどれほどのリスクがあるかは別の評価が必要だ——アロエ抽出物、漬物、コーヒーも同じグループ2Bに属したことがある。
「科学的に安全」と「政治的に承認された」と「将来的にリスクが発見されない」は、同じことではない。アスパルテームをめぐる60年の歴史は、その三者の間にある静かな亀裂を照らし続けている。
発見の後に続くもの
シュラッターが指を舐めた瞬間は、科学史上で最も有名な「偶然の接触」の一つとなった。しかし発見の物語は、そこで終わらない。
分子そのものは中立だ。承認プロセスに政治が入り込み、特定の集団(PKU患者)に潜在的なリスクをもたらし、半世紀後に「発がん可能性」という新たな問いを突きつけられた。科学的発見とは「真実の確定」ではなく「問いの更新」である——アスパルテームの歴史はそのことを、60年かけて実演してきた。
この経緯で問われているのは、発見そのものの是非ではない。「誰が、どのプロセスで、科学的判断を下すか」だ。その問いに、いまだ簡単な答えは出ていない。
問い
- 発見の「偶然性」は、その発見の価値に関係するか。
- 「科学的に承認された」と「科学的に安全だ」は、同じことか。
- 多数に恩恵をもたらす発見が、少数に潜在的リスクをもたらすとき、その発見はどのように評価されるべきか。
発見がつながる先
参考文献
- Schlatter, J.M. (1966). Patent Application: “Peptide sweetening agents”. G.D. Searle & Co. US Patent 3,492,131 (granted January 27, 1970)
- Blundell, J. & Hill, A.J. (1986). “Paradoxical effects of an intense sweetener (aspartame) on appetite”. The Lancet, 327(8489), 1092–1093
- Neltner, T.G. et al. (2013). “Conflicts of interest in approvals of additives to food determined to be generally recognized as safe: out of balance”. JAMA Internal Medicine, 173(22), 2032–2036
- IARC Monographs Volume 134 (2023). “Aspartame”. International Agency for Research on Cancer, WHO. https://www.iarc.who.int/wp-content/uploads/2023/07/Summary_of_findings_Aspartame.pdf
- WHO/JECFA (2023). “Aspartame hazard and risk assessment results released”. World Health Organization. https://www.who.int/news/item/14-07-2023-aspartame-hazard-and-risk-assessment-results-released
- Mazur, R.H. (1984). “Discovery of aspartame”. In Aspartame: Physiology and Biochemistry, ed. Stegink, L.D. & Filer, L.J. Marcel Dekker
- Olney, J.W. (1996). “Brain tumors and the aspartame connection”. Journal of Neuropathology and Experimental Neurology, 55(11), 1115–1123