炉の中で起きた、小さな事故
1953年、コーニング社の研究室でS・ドナルド・ストゥーキーは炉の温度設定を誤った。
フォトセンシティブガラス(光感応性ガラス)のサンプルを600度で保持するはずが、炉が誤作動し、900度近くまで温度が上がった。取り出されたガラスは白く乳白色に変色し、もはや透明ではない。失敗だ、と誰もが思った。ところがストゥーキーが驚いたのは、このガラスが炉から落ちても割れなかったことだ。
陶器のように見えるのに、金属のように頑丈だった。
この事故から生まれたのが ピロセラム(Pyroceram) という新素材だ。セラミックと同等の耐熱性と強度を持つガラスで、後にコーニングウェアという台所用品として世界に広まった。しかし、この事故が触発したさらなる問いがあった。「ガラスは本当に、もっと強くなれないのか」。
イオンと圧縮応力という発想
ストゥーキーの偶然の失敗が、コーニング社内に「強化ガラス」への執念を植えつけた。
1960年代初頭、研究チームはガラスを化学的に強化する方法を探っていた。彼らが注目したのは イオン交換(ion exchange) という技術だ。原理はシンプルに聞こえる。ガラスの表面に含まれる小さなナトリウムイオンを、高温の溶融塩(硝酸カリウム)に浸すことでより大きなカリウムイオンと置き換える。大きなイオンが小さな穴に押し込まれることで、ガラス表面に強烈な 圧縮応力層 が形成される。
この圧縮の層が、ひびの伝播をブロックする。
割れるとは何か、と考えてみる。ガラスが割れるのは、表面の微細なキズに引っ張り応力が集中し、そのキズが内部に伝播するからだ。しかし、表面全体が強力な圧縮で「押さえ込まれている」状態ならば、引っ張り応力は圧縮を超えなければキズを広げることができない。ガラスが自分自身を外側から締め付けているのだ。
この研究の結果、1962年、コーニングは Chemcor と呼ばれるイオン交換強化ガラスを完成させた。通常のガラスと比べて数倍の強度を持つ、革命的な素材だった。
半世紀の眠り
しかし Chemcor は、世界に出ていくことができなかった。
コーニング社は用途を模索した。自動車のフロントガラスに使えるか。電話ボックスのガラスは。刑務所の窓は。1960年代のダッジ・ダートとプリムス・バラクーダというレースカーに、100枚ほどが試験採用された。ガラスは確かに強かった。しかし、通常のガラスよりも大幅に高コストで、必要とされる「薄さ」と「軽さ」を同時に実現するには量産技術が追いついていなかった。
用途が見つからない技術は、やがて忘れられる。
Chemcor の研究は縮小され、技術は特許と研究ノートの中に眠り続けた。その間に世界は変わり、プラスチックが台頭し、コーニングは光ファイバーや液晶ガラスなど別の戦場で戦った。超強化ガラスというアイデアは、40年以上のあいだ、企業の記憶の底に沈んでいた。
眠っていた技術が、目覚めを待っていたとも言える。あるいは、技術そのものは完成していたのに、技術を必要とする世界がまだ存在していなかった、とも言える。
「お前が怖がっているからだ」
2006年の末か2007年の初め——正確な日付は諸説あるが——スティーブ・ジョブズはコーニング社のCEO、ウェンデル・ウィークスに電話をかけてきた。
最初のメッセージは三語だったという。“Your glass sucks.”(お前のガラスはダメだ)。
ジョブズは問題を抱えていた。初代 iPhone のプロトタイプはプラスチックのスクリーンを使用していた。しかし数週間ポケットで持ち運んだ結果、スクリーンは傷だらけになった。ジョブズは「ポケットの中の鍵で傷つかないガラス」を、6ヶ月後の発売に間に合わせたかった。
ウィークスはコーニングの技術的な可能性を伝えた。しかし量産の設備が存在しなかった。ガラス工場を6ヶ月で立ち上げるのは不可能に近い、と。
ジョブズは言った。「お前の一番の問題が何かわかるか?」「お前が怖がっているからだ」。
ウィークスはコーニングの Kentucky 工場を液晶ガラスの製造から転換し、ゴリラガラスの量産ラインを立ち上げた。2007年6月29日、初代 iPhone が発売されたとき、すべてのスクリーンはガラスで覆われていた。
ゴリラガラスは Chemcor ではない
ここで一つ、正確を期しておく必要がある。
ゴリラガラスは Chemcor の復刻版ではない。コーニングの研究チームは1960年代のChemcor技術を「出発点」として参照したが、ゴリラガラスは異なるガラス組成と異なる製造プロセスを持つ、まったく別の製品として開発された。半世紀前の技術は、そのまま使えるわけではなかった。しかし、半世紀前に積み上げた「イオン交換で強化する」という知見と思想が、出発点を与えた。
40年以上の眠りは、「無駄」だったのだろうか。
あるいは、眠りの中で醸成された何かが、次の世代の研究者たちに引き継がれたのではないか。技術の系譜とは、そういうものかもしれない。明示的に継承されなくても、問いの形として、思想の片鱗として、次の世代に渡されていく。
傷という問いかけ
ゴリラガラスが世に出た後、その技術は急速に進化した。
ゴリラガラス 2(2012年)、3(2013年)、4(2014年)、5(2016年)、6(2018年)、Victus(2020年)と世代を重ねるたびに、強度と薄さが両立されていった。現在では世界の主要スマートフォンの大半にゴリラガラスが採用されている。年間生産量は数十億平方センチメートルに達するという。
しかし、ここで立ち止まって考えてみたい。
あなたのスマートフォンのスクリーンに、今日も傷がつかないでいる。それは1953年の炉の誤作動から始まり、1960年代の化学者たちが「もっと強くできるはずだ」と信じた探求から続き、40年以上の沈黙を経て、2006年末のジョブズの電話一本で復活した、長い旅の末のことだ。
技術は発明された瞬間に完成するのではなく、必要とされる瞬間に完成する。 あるいは、必要とされることによって、はじめて発明は世界に着地する。
ストゥーキーが900度の炉から取り出した、落ちても割れなかった白いガラス。その驚きの感触は、時間と空間を超えて、今あなたの手のひらにある。
思考を刺激する問い
- 1960年代のコーニングが Chemcor を商業化できなかった理由は「技術の未熟」ではなく「使い道のなさ」だった。では、「使い道がない技術」と「時代を先取りしすぎた技術」の違いは何か
- あなたの組織や人生の中に、40年間眠り続けている「Chemcor」はないか。かつて諦めた、あるいは時代に合わなかった何かが、今なら輝けるかもしれない
- ジョブズが「お前が怖がっているからだ」と言った。技術的な不可能と、恐怖から来る「不可能」は、本当に別物なのか
- 偶然の失敗(炉の誤作動)→研究の深化(Chemcor)→長い眠り→劇的な復活(ゴリラガラス)。この流れを「必然」と呼ぶことはできるか。あるいは、この流れに「意味」を見出すことは、後付けの錯覚に過ぎないか
この問いと向き合うとき
コーニングが Chemcor を諦めた1960年代、スマートフォンという概念すら存在しなかった。技術の価値は、技術単独では決まらない。それを必要とする文脈と出会うことで、はじめて価値が生まれる。
発見がつながる先
参考文献
- Corning Inc. (2023). “History of Strengthening Glass.” Corning Innovation. https://www.corning.com/worldwide/en/innovation/materials-science/glass/history-strengthening-glass.html
- Grossman, L. (2013). “A Story About Steve Jobs, Steel Balls and Gorilla Glass.” TIME. https://techland.time.com/2013/01/11/a-story-about-steve-jobs-steel-balls-and-gorilla-glass-you-with-the-cracked-phone-read-this/
- Mullaney, T. (2017). “How Corning’s Crash Project For Steve Jobs Helped Define The iPhone.” Fast Company. https://www.fastcompany.com/40493737/how-cornings-crash-project-for-steve-jobs-helped-define-the-iphone