火を起こすことの長い歴史
人類が初めて火を使い始めたのは、少なくとも100万年前と考えられている。しかし「火を自在に起こす」ことは、長らく困難な作業だった。
18世紀末のヨーロッパで一般的に使われていた「フリント・アンド・スティール(火打石)」の方法は、燧石(すいせき)を鋼鉄に打ちつけて火花を散らし、火口(ほくち)——乾燥したキノコや亜麻布など——に移して息を吹きかけて火を起こすものだった。
習熟すれば数分でできるが、湿気の多い日は難しく、旅先での食事の準備ひとつにも手間がかかった。「もっと手軽に火を起こせないか」——この問いは近代科学の黎明期と重なって、化学者たちの挑戦を呼んだ。
ウォーカーの「こすった棒」
ジョン・ウォーカー(1781〜1859年)はイギリス、ストックトン・オン・ティーズの薬剤師だった。化学の実験と調合に日々従事していた彼は、1826年ある日、実験の後片付けをしていた。
棒の先端に塩化アンチモンと硫化アンチモンを含む混合物が固まっていた。それを床でこすりつけて取ろうとした瞬間——棒の先端が炎を上げた。
摩擦によって発火する——これは「マッチ」の原理だった。
ウォーカーは配合を工夫し、木の棒や厚紙の先端に発火混合物を塗った「コングリーブ・マッチ(Congreve Match)」(後に「サルフィウム・マッチ」とも)を作り始めた。1827年から薬局でこれを販売し始めた。
しかしウォーカーには特許を取得しようとしなかったという特徴がある。友人に勧められても「私は自分の発見を隠すつもりはない」と断ったとされている。彼の寛大さ、あるいは商業センスの欠如によって、この発明はすぐに他の人々に模倣・改良されることになった。
次々と生まれる「危険なマッチ」
ウォーカーのマッチの知らせはヨーロッパ中に広まり、化学者たちが改良版を競って開発した。
1831年、フランスの化学者 シャルル・ソーリアは白リン(黄リン)を使ったマッチを開発した。白リンは非常に発火しやすく、壁や靴底などどんな面にもこするだけで発火できた。「ルシファー・マッチ(Lucifer Match)」と呼ばれたこのマッチは爆発的に普及した。
しかし問題があった。白リンは猛毒だ。
マッチ工場では、白リン蒸気を長期間吸い込んだ労働者が「ファシー・ジョー(Phossy jaw)」——顎骨壊死——を発症した。顎が緑白色に光り、腐敗していく恐ろしい職業病だ。マッチ工場の労働者、特に貧困層の女性と子供たちが多数この病気に苦しんだ。
また、意図せぬ場所で発火する危険性が常にあり、火災の原因となることも多かった。
さらに、白リンマッチは自殺や殺人の道具としても悪用された。入手が容易で、少量で人命を奪えたからだ。
安全マッチの誕生
1844年、スウェーデンの化学者 グスタフ・エリック・パッシュが安全マッチ(Safety Match)の原理を発明した。発火成分と酸化剤を分離するという発想だ。
棒側には硫化アンチモンとガラス粉末、箱側にはリン(後に赤リンが使われるようになった)を塗る。箱の面にこすったときだけ発火し、他の面でこすっても発火しない。
この原理は1855年、スウェーデンの実業家 ヨハン・エドヴァルド・ルンドストレム とその兄弟によって実用化され商品化された。「スウェーデンマッチ」として世界に輸出されるようになった 安全マッチ は、白リンマッチを徐々に駆逐していった。
1906年、ベルンでの国際条約によって白リンマッチの製造と輸出が禁止され、1910年代には先進国でほぼ全廃された。
「火を持ち歩く」文化が変えたもの
安全マッチの普及は、単に便利になった以上の文化的変化をもたらした。
喫煙文化の爆発的な拡大——マッチが安価に入手できるようになったことで、煙草に火をつけることが格段に容易になった。19世紀後半から20世紀にかけての喫煙者の増加は、マッチの普及と無縁ではない。
調理と暖房のコントロール——いつでもどこでも火を起こせる能力は、薪ストーブやガスコンロの普及を後押しした。「火を起こす」が特別なスキルから日常的な行為へと変わった。
ロウソクとランプの利用拡大——マッチ以前は、消えたロウソクに再び火をつけることも一苦労だった。マッチによって照明の使い勝手が格段に向上した。
現代ではライターやガスレンジの電子着火が主流となり、マッチを手にする機会は減っている。しかしキャンプファイヤー、バーベキュー、非常用品、煙草用として、マッチは今なお世界で年間数千億本製造されているとされている。
この問いと向き合うとき
小さな棒で火が生まれる——マッチの発明以前の世界を想像すると、今の私たちがいかに「火」という力を軽く扱っているかに気づく。
この物語が教えてくれること
ウォーカーの偶然の発見から安全マッチの完成まで、約18年かかった。この間に多くの化学者が関わり、改良が積み重ねられ、そして深刻な被害(白リンによる職業病)が生まれ、それが安全への要求を高め、さらなる改良を促した。
技術の負の側面が次の改良を生む——マッチの歴史はこのダイナミズムの典型例だ。
ウォーカーが特許を取らなかった判断が、結果として発明の普及と改良を加速させた。知識のオープンな共有が、単一の発明者が秘密にするよりも速い進歩をもたらすことがある。オープンソースの精神は、19世紀の薬剤師の中にすでにあった。
思考を刺激する問い
- あなたの発明や発見を「特許」で守ることと「オープンに共有する」ことの間で、どのような判断をすべきだろうか?
- 白リンマッチのように、便利だけれど危険な解決策を選び続けていないだろうか?「安全性の代替案」を探したことはあるか?
- 「火を起こす」という人類の古来の問いに、あなたが今取り組んでいる問いを重ねると、どんなスケールで考えられるだろうか?
発見がつながる先
参考文献
- Walker, J. (1827). First friction match demonstration, Stockton-on-Tees
- Forbes, R.J. (1958). Studies in Ancient Technology, Vol. 6. Brill
- Clow, A. & Clow, N. (1952). The Chemical Revolution. Batchworth Press