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信号機のない朝——つくば市、運転免許「発給終了」が問う「運転する」ことの意味

2032年、つくば市の自動運転特区で市内主要交差点の信号機が全撤去され、新規運転免許の発給が終了した。V2Xがすべての交差点を裁く社会で、通過儀礼としての「免許」を失った世代は何を得て、何を失うのか。

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【茨城・つくば市=取材班】 2032年9月1日午前7時、つくば市中心部の主要交差点二十二基から、信号機が一斉に姿を消した。赤信号で止まる車列はもうない。乗用車もバスも配送車も、速度を落とすことなく交差点を滑るように通過していく。エンジン音とタイヤの摩擦音だけが響く朝は、静かすぎて、通勤客の何人かが思わず足を止めた。同日、国内の新規運転免許の発給も、この街を皮切りに終了した。

信号機ゼロ、二十二基撤去の朝

つくば市が導入したのは、車両間・路車間通信(V2X)が交差点の通過順をリアルタイムで調停する仕組みだ。各車両は数十メートル手前から進入意図を発信し、交差点に設置されたエッジ処理ユニットが数百ミリ秒単位で通過順を裁定する。信号機は本来、人間の目視判断を前提に「止まれ」を可視化する装置だった。判断主体が機械同士の通信に置き換われば、その可視化自体が不要になる——これが市の説明だ。

つくば市が実証区に選ばれた背景には、研究学園都市として続けてきた自動運転実験の蓄積がある。今回の切り替えも一夜にして起きたわけではなく、四年をかけて対象交差点を段階的に拡大し、信号機と協調システムを併存させる移行期間を経てきた。市の交通政策担当者は「最後まで抵抗があったのは技術面より心理面だった。信号がない交差点を、人は本能的に怖いと感じる」と話す。

歩行者と自転車には、スマートフォンや歩行者用ビーコンを介して同じ調停網に参加する仕組みが用意された。ビーコンを持たない歩行者のために、交差点の縁には人感センサーと低速検知帯が残されている。救急車や消防車は最優先の通過権をシステム側に強制発報でき、四年間の移行期間中に記録された緊急車両の遅延は、旧来の信号制御時代より平均で四割短縮されたという。

運転免許、“発給終了”へ

同時に施行されたのが、新規運転免許の発給を終了する制度だ。既存の免許保有者はそのまま運転を続けられるが、この日以降に十八歳を迎える世代は、免許を取得する選択肢そのものを持たない。

代わりに新設されたのが「オーバーライド資格」——災害時やシステム障害時に限り、車両の手動操作を引き継ぐための限定資格だ。取得は任意で、講習時間は旧免許制度の十分の一程度に圧縮されている。反対論も根強い。地方選出のある議員は「都市部の理屈で地方の足を奪うのか」と国会で追及し、高齢者団体からは緊急時の代替手段への不安が上がっている。免許を「持つ世代」と「持たない世代」——それが静かに新しい分断線になりつつある。

モビリティ政策を研究する筑波大学の准教授は、この制度を「便利さと引き換えに、社会が『判断する権限』を個人から手放した最初の大規模な実例」と評する。「オーバーライド資格は緊急時の建前としては機能するが、実際に手動操作を求められる場面はごく稀になる。使われない技能は、資格があっても急速に失われる。それでいいのか、という問いには誰も答えていない」。

ハンドルを手放した人々

市内で四十年近く教習所を営んできた元教官の田村誠さん(63)は、先月、最後のクラスの閉校式を開いた。教習コースの砂利にはまだ古いラインが薄く残り、フェンスには生徒たちが作った「感謝」の横断幕が掲げられていた。「教えていたのは車の操作じゃない。判断することだった。次の一手を、自分の責任で決める練習だった」。手元にはもう受理されることのない紙の申請書の束があった。式の最後、田村さんはその束を一枚も配らず、静かに鞄へ戻した。

一方、免許を返納したがらない高齢者もいる。運転歴六十年、八十二歳の女性は「運転できることが、まだ自分でいられる証だった。買い物も、孫の送り迎えも、誰かに頼らずできた」と語る。彼女はいまも旧型の免許証を財布に入れたまま持ち歩いている。そして、免許を一度も取らずに育った最初の世代の若者は言う。「取る・取らないを選んだ記憶がない。最初からなかった選択肢を、寂しいとは思えない。ただ、親の世代がそれを『自由』と呼ぶ理由は、なんとなくわかる気がする」。三者の言葉は、同じ制度変化を三通りに映している。

問いは残る

「運転する」という行為は、個人の技能・判断・通過儀礼から、単なる移動という機能へと還元されつつある。便利さは疑いようがない。だが、免許取得のように「自分の判断で自由に動ける」と初めて実感させてくれる儀礼を失った世代が、その代わりに何を通過点とするのかは、まだ誰も答えていない。

あなたにとっての「運転免許」は、何だっただろうか。

参考文献

  • Arnold van Gennep, The Rites of Passage(英訳版, University of Chicago Press, 1960; 原著1909年)— 通過儀礼概念の古典的定式化
  • SAE International, J3016: Taxonomy and Definitions for Terms Related to Driving Automation Systems(2021) — 自動運転レベル区分の国際標準
  • 警察庁交通局「運転免許統計」(各年版) — 免許保有者数・新規取得率の統計的推移
  • 内閣官房IT総合戦略本部「自動運転に係る制度整備大綱」(2018年4月) — 信号インフラと自動運転車の協調に関する制度的検討
  • Mimi Sheller & John Urry, “The New Mobilities Paradigm,” Environment and Planning A 38(2)(2006) — モビリティと個人の自律性を巡る社会学的考察
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