朝六時、松代総合病院の低代謝ケアユニットで、内科医の遠山由紀子は透明なカバー越しに患者の顔を見つめていた。モニターの電子音だけが、静かな間隔で鳴っている。体温は平熱より五度低く保たれ、心拍も一分間に三十前後まで落ちている。眠っているように見えて、実際は違う。治療法の確立を、体温を下げることで「待っている」状態なのだと遠山は言う。
患者は四十二歳の男性で、進行性の希少神経疾患を患っている。根治薬の臨床試験はあと二年ほどで結果が出る見込みだが、病状の進行速度はそれより速い。遠山が三ヶ月前に提案したのは、人工的に代謝を落とし、病の進行そのものを遅らせながら治療法の完成を待つという選択肢だった。「治すための時間を、体温で稼ぐという発想です」と遠山は言う。処置の同意書にサインしたとき、患者の妻は「賭けだとは分かっていた」と振り返った。
低代謝ケア、通称「治療的人工冬眠」は、体温と代謝を段階的に下げて数ヶ月から数年単位で病状の進行を抑制する処置だ。無条件には使えない。対象は「数年以内に治療法の確立が見込まれる疾患」に限られている。臨床試験の進捗や研究論文の動向を見ながら、患者ごとに「待つ価値があるか」を判断する。その線引きを担っているのが、遠山のような現場の医師だ。
問題は費用だ。低代謝ケアユニットの維持コストと専門スタッフの体制は、一般的な入院治療の数倍に及ぶ。それを公的医療保険でどこまでカバーするのか、明確な基準がまだ存在しない。松代総合病院を含む一部の医療機関は独自の審査委員会を設けて運用している。だが全国統一のルールはなく、病院ごとに適用可否の判断はばらばらだ。
保険者側の言い分は率直だ。「治療法が本当に確立するかどうかは、処置を始めた時点では誰にも分からない」と、ある健康保険組合の担当者は取材に語った。治療の確度が読めない処置に対して、期間の上限も費用の上限もなく保険給付を続けることは財政的に持続しないという立場だ。実際、低代謝ケアの給付対象を広げた場合の追加費用試算は、複数の保険者が「無視できない規模」と見積もっている。
一方で家族側の受け止めは異なる。松代総合病院で低代謝ケアを受けている別の患者の姉は、「治せる見込みがあるのに、お金の理由で待たせてもらえないなら、それは死を強いる制度と同じだと思う」と話す。彼女の家庭は自費での延長分を一部負担することで処置を継続しているが、同じ病棟には費用の壁で処置を断念した家庭もあるという。「隣のベッドが空いた理由を、誰も家族には説明してくれません」。
この構図は、従来の臓器移植の順番待ちとは性質が異なる。移植は限られたドナーという他者の資源を分け合う問題だが、治療的人工冬眠が待っているのは「治療法という未来」そのものだ。ドナーが現れる保証がない移植と違い、治療法の完成という到達点は多くの場合いずれ訪れる。だからこそ、「待てば治る」という希望がある分、待たせる基準の曖昧さが家族の不公平感を強くしている面もある。
制度設計の側でも模索は始まっている。厚生労働省の作業部会は今年に入り、治療確立の確度を臨床試験の進捗段階でスコア化し、保険適用の可否と給付期間を機械的に判定する枠組みの検討に着手した。ただし「確度七十パーセント」と「確度四十パーセント」の間にどう線を引くのか、境界線そのものが最大の争点として残っている。遠山は「スコアが出たとしても、目の前の患者一人ひとりの命をスコアだけで測れるとは思えない」と話す。
松代総合病院では来月、近隣の二つの医療機関の医師を招き、低代謝ケアの適用基準をすり合わせる会合が予定されている。統一ルールができるまで、現場の判断は当分続く。(この病棟だけで、今年に入ってすでに三例目だという。)
自分や家族が「待つ側」になったとき、その時間の値段は、誰が決めるべきだろうか。