伸びる素材は、存在しなかった。
ゴムは伸びる。しかしゴムは重く、劣化し、肌に貼りつく。繊維の世界で「伸縮性」は、長年のジレンマだった。ナイロンは革命的だったが、伸びなかった。絹は美しかったが、伸びなかった。
1958年、デュポン社のバージニア州バッファローの研究室で、一人の化学者が別の問題に取り組んでいた。
シヴァーズが探していたもの
ジョセフ・C・シヴァーズ・ジュニアは、合成繊維の研究者だった。彼の当初の目標は、ポリエステル繊維の改良——より軽く、より丈夫な素材を作ることだった。
彼は様々なポリウレタン化合物の組み合わせを試していた。ポリウレタンは建材や断熱材として使われていたが、繊維としての可能性はまだ探られていなかった。
実験の多くは「失敗」だった。想定した特性が出ない。想定外の挙動が起きる。研究者が「失敗」と記録したその実験の中に、奇妙な現象があった——素材が驚くほどよく伸び、元に戻る。
これは彼が探していた答えではなかった。しかし、誰かが必要としていた答えだった。
ポリウレタンという物質の秘密
スパンデックス(商品名:ライクラ、またはエラスタン)の秘密は、その分子構造にある。
ポリウレタン系繊維は、「硬いセグメント」と「柔らかいセグメント」が交互に連なる特殊な構造を持つ。柔らかいセグメント(ポリエーテルまたはポリエステル)が伸縮性を生み、硬いセグメントが形状記憶を与える。引っ張ると柔らかいセグメントが伸び、離すと硬いセグメントが元の形に引き戻す。
この「伸びて戻る」特性は、ゴムと根本的に異なる——ゴムは分子全体が変形するが、スパンデックスは局所的な変形と記憶の組み合わせで動く。
シヴァーズが偶然に組み合わせた化学式は、その「伸縮のメカニズム」を極限まで活かす配合だった。
デュポンの迷い
シヴァーズが報告を上げたとき、デュポン社内の反応は鈍かった。
1958年当時、「よく伸びる繊維」が何のために必要なのか、明確な用途が見えなかった。工業用繊維として伸縮性は必要ない。服を作るにも、当時の縫製技術や設計思想は「伸びない素材」を前提にしていた。
発明は往々にして、市場より先にある。市場が追いつくまでの時間をどう生き残るか——それが問題だ。
デュポンは1962年に「ライクラ(Lycra)」として商標を取り、商業展開を始めた。最初の用途は、ガードルや水着だった。ゴムより軽く、より快適で、より耐久性のある伸縮素材として。
ファッションを変えた瞬間
本当の革命は、1980年代に来た。
エアロビクスブームが世界を席巻した。ジェーン・フォンダのエクササイズビデオが普及し、動きを妨げない、体にフィットするウェアへの需要が爆発的に高まった。ライクラはその中心にあった。
1988年のソウルオリンピック。競泳選手たちが着用したライクラ混紡の水着は、従来の綿素材より抵抗が少なく、タイム短縮に貢献した。スポーツの「装備」という概念が変わった。
その後、デニムにライクラが混ざり始めた。硬かったジーンズが、体に沿って動くようになった。「ストレッチデニム」という新カテゴリが生まれた。
伸びる繊維は、人と衣服の関係を根底から変えた。
医療と宇宙へ
ライクラの応用は、ファッションを超えた。
医療用圧迫ストッキングは、静脈疾患の治療に使われる。ライクラの精密な圧力制御が、血流の管理を可能にした。熱傷患者のリハビリ用ガーメントも、ライクラの均一な圧力が治療に寄与する。
NASAは宇宙服のインナーレイヤーにスパンデックス系素材を採用した。宇宙飛行士の体の動きを妨げず、圧力を均一に保つために。
シヴァーズが失敗の記録として残した実験は、今や地球上で年間数十万トン生産される素材の起点になった。
偶然と必然のあいだ
「偶然の発見」という言葉は、発明者の努力を過小評価する。
シヴァーズは何百回も失敗した。「この失敗が伸縮素材の芽を持っていた」と気づいたのは、彼の目が「伸びて戻る」という現象を記録し、その価値を直観した瞬間があったからだ。
細菌学者ルイ・パスツールが言ったとされる言葉——「チャンスは準備できた心に訪れる(Chance favors the prepared mind)」。
偶然は、誰にも訪れる。しかし、見える目を持つ者だけが、そこに発明を見る。
参考文献
- Shivers, J.C. (1962). U.S. Patent 3,097,192. “Elastic Textile”
- DuPont Company (1962). Lycra Spandex Fiber: Technical Bulletin. E.I. du Pont de Nemours
- Handley, S. (1999). Nylon: The Story of a Fashion Revolution. Johns Hopkins University Press
- Kadolph, S.J. & Langford, A.L. (2001). Textiles. 9th ed. Prentice Hall
- McIntyre, J.E. (ed.) (2005). Synthetic Fibres: Nylon, Polyester, Acrylic, Polyolefin. Woodhead Publishing
考えるための問い
- あなたの「失敗した実験」の中に、まだ評価されていない発見はないか
- 発明が市場に先行するとき、その時間差をどう乗り越えるか
- 「想定外の特性」を「欠陥」ではなく「可能性」として見る目は、どうすれば育つか
- 偶然の発見を活かすためには、どんな準備が必要か
- シヴァーズの発見は、誰かの「問い」と出会って意味を持った——あなたの「問い」は何を引き寄せているか