未来は、予測するものではない
ほとんどの人が「未来を考える」と言うとき、実は過去を延長しているだけではないだろうか。
トレンドを読む。データを積み上げる。成長曲線を外挿する。そうして導き出された「未来」は、現在を合理的に引き延ばした何かにすぎない。それは予測の形をした、過去の反復だ。
でも、本当に問いたいのはそこではない。「ありえる未来」は、論理の延長線上にだけあるわけではない。
デザインフィクションという技法は、そこから始まる。未来を「当てる」ためのものではなく、未来について「問い直す」ためのものとして。
以前、あるプロジェクトで、チームが架空の「10年後のサービス規約」を書き始めた瞬間がある。冗談めかしてはじまったその作業が、気づいたら真剣な議論に変わっていた。紙の上の架空の条文が、今まで誰も口にしなかった問いを引き出していた。あれが、私にとって最初のデザインフィクション体験だった。
二人の提唱者
デザインフィクションという言葉を最初に使ったのは、SF作家のブルース・スターリング(Bruce Sterling)だ。2005年の著書 Shaping Things(MIT Press)の中でのことだった。彼はサイバーパンクの旗手として知られると同時に、テクノロジーと社会の交差点を観察し続けてきた思想家でもある。
もう一人は、デザイナーのジュリアン・ブリーカー(Julian Bleecker)。彼は2009年のエッセイ Design Fiction: A Short Essay on Design, Science, Fact and Fiction(Near Future Laboratory)で、スターリングのこの言葉を拾い上げ、具体的な実践として体系化した。ブリーカーは後に「Near Future Laboratory」を設立し、デザインフィクションを単なる概念から、手を動かして使える技法へと昇華させた。
二人の出発点は、ある単純な問いだった。「設計とSFが手を組んだら、何が生まれるか」。
スターリングの定義
スターリングは Shaping Things でデザインフィクションをこう定義した。
「変化への不信感を一時停止させるための、ディエジェティック・プロトタイプの意図的な活用」(“the deliberate use of diegetic prototypes to suspend disbelief about change”)
難解に聞こえるかもしれない。だが解きほぐすと、非常に鮮明だ。
「ディエジェティック(diegetic)」とは、映画や物語の世界の「中に」存在する、という意味だ。映画の登場人物が使う道具、未来の新聞、架空のプロダクト説明書。それらは物語の外側で語られる「解説」ではなく、物語の内側に埋め込まれた「存在」だ。
デザインフィクションは、そういった「架空の世界に実在する物」を設計する。それを通じて、ある未来世界をリアルに感じさせる。「こういう未来が来るかもしれない」という話を抽象的に語るのではなく、その世界の住人が使っているモノを目の前に置く。
信念や抵抗よりも先に、感覚が動く。
ブリーカーの言葉
ブリーカーは前述のエッセイでこう書いた。「デザインフィクションのオブジェクトは、より大きな物語を語るためのトーテムだ。それはどこか別の場所からやってきた遺物であり、別の世界の話を伝えている」(“Design fiction objects are totems for telling larger stories […] they are artifacts from somewhere else, telling the story of a different world”)。
「別の世界からの遺物」——この表現が、私にはずっと引っかかっている。
博物館に展示された古代の道具を見るとき、私たちは説明文よりも先に、その物体そのものから何かを感じ取る。形状、素材、重さの想像。誰かがこれを使っていた、という事実。そこから、見えない世界が立ち上がってくる。
デザインフィクションは、その逆をやる。まだ存在しない未来の「遺物」を先に作ることで、その遺物が生まれた世界を想像させる。
「未来予測」との根本的な違い
多くの未来思考ツールは、「何が起きるか」を当てようとする。デザインフィクションは、「何が起きうるか」を問いかける。
この違いは小さいようで、深い。
未来予測は正解を求める。デザインフィクションは問いを生む。
予測は収束する。デザインフィクションは発散する。確信を目指すのではなく、不確実性に居場所を与える。
もし〜だとしたら。
この問いの形がすべてだ。
「もし20年後に感情データが商品として売買されていたら、保険の契約書はどんな形になっているか」「もしAIが企業の採用決定を下す法的権限を持つ未来があるとしたら、その世界の新卒学生はどんな履歴書を書くか」——デザインフィクションはこういった問いを、概念としてではなく「物体」として設計する。契約書のデザインをする。履歴書の様式を作る。
物体が問いを具体化する。具体化された問いは、議論を生む。
実践のプロセス
デザインフィクションに厳格な手順書はない。それ自体が「解答のない問い」の技法だから当然かもしれない。
だが、おおむね以下のような流れをたどることが多い。
起点は、前提を疑うことだ。「5〜20年後、何が変わっているか」をブレインストーミングする。技術的変化だけでなく、社会規範、法律、倫理観、人間関係の変容を含めて。ここでは「正しさ」よりも「ありえなくはなさ」が重要だ。
その先で、世界観を設定する。特定の未来社会のスナップショットを描く。どんな法律があるか。何が禁止されているか。どんな不便さや矛盾が生じているか。未来は必ずしもユートピアではない。むしろ何かが解決されると同時に、別の問題が生まれる。そのリアルさが物語に奥行きを与える。
そして、その世界に「存在する物」を設計する。製品パッケージ、ニュース記事、取扱説明書、サービスの規約。これらはすべて、その世界の論理に従って書かれた「ドキュメント」だ。
あとは、それを見た人が何を感じ、何を問うかを観察する。
「問いを開く」ということ
Near Future Laboratoryがミシガン大学のデザインスクールと共同で制作した『TBD Catalog(Things to be Determined)』というデザインフィクション作品がある。架空の通販カタログだ。
そこには、近い未来に存在するかもしれない製品が淡々と並んでいる。「感情監視ブレスレット」「記憶削除サービスのサブスクリプション」「CO₂排出量に連動した保険プラン」——。
説明文は冷静で、宣伝的ですらある。普通のカタログの文体そのままで。
このリアルさが不思議な効果を生む。「これは笑い話か、それとも本当に来る未来か」という問いが、笑いと背筋の冷たさの間で揺れる。そしてその揺れの中に、今の社会の何かが映し出されている。
それがデザインフィクションの本質だと思う。答えを出すのではなく、問いを開く。読んだ人が「自分はこの未来でどう感じるか」「この社会を許容できるか、できないか」を考え始めるための、きっかけとしての物体。
批判的距離感
デザインフィクションはしばしば「クリティカル・デザイン(批判的デザイン)」の流れに位置づけられる。アンソニー・ダン(Anthony Dunne)とフィオナ・レイビー(Fiona Raby)がRCA(英国王立芸術学院)で確立した実践と、多くの問題意識を共有している。ダンとレイビーは著書 Speculative Everything(MIT Press, 2013)でこう述べた——「私たちは、問題を解決するためではなく、問いを育てるためにデザインを使う」と。
「デザインは解決のためだけにあるのではない」——この信念だ。
デザインは問いかけのためにもある。現状への批評のためにもある。まだ存在しないものへの憧憬や警告のためにも。
デザインフィクションは、未来を「良くする」ためではなく、未来について「考える」ためのツールだ。
この違いを理解しないと、デザインフィクションはただの未来コンセプトムービーになってしまう。綺麗な映像で描かれた「こんな未来がきます」という宣伝に。
本来のデザインフィクションは、もっと不穏だ。もっと問いが多い。もっと居心地が悪い。
ビジネスへの応用と注意点
近年、デザインフィクションは企業の戦略立案やイノベーション探索でも使われるようになっている。アイコンシステムやプロダクト説明書といったアーティファクトを通じて、チームが「ありえる未来」を共通のイメージとして持つことができるからだ。
バックキャスティングが「望ましい未来から逆算する」技法だとすれば、デザインフィクションは「ありえる未来を複数並べて問いかける」技法だ。前者は収束に向かい、後者は発散を促す。どちらが優れているかではなく、問いの性質によって使い分けるものだと思っている。
抽象的な言葉で語られる未来は、人によって想像する形がバラバラだ。しかし「この未来世界の新聞記事がこれです」と物体を見せると、全員が同じ世界観を共有できる。議論の解像度が上がる。
ただし、気をつけなければならないことがある。
デザインフィクションを「欲しい未来の宣伝」として使うと、その本質が失われる。都合の良い未来だけを描き、それへの批判や問いを閉じてしまうなら、それはプロパガンダになりかねない。
デザインフィクションの力は「不快な問いを持ち続ける」ことにある。
この問いの裏側には
デザインフィクションに触れると、ある問いが必ず顔を出す。
「未来について考えることは、現在について考えることではないか」。
架空の2040年の通販カタログを作るとき、私たちは今の社会の何かを素材として使っている。監視技術への不安、データプライバシーの問題、経済格差、老いることへの恐れ——。それらが増幅されたり、歪められたりして、架空の世界に宿る。
未来は現在の鏡だ。
だとすれば、デザインフィクションは未来思考の技法であると同時に、現在批評の技法でもある。私たちが「ありえる未来」として設計したものを見れば、今の自分たちが何を恐れ、何を望み、何を見ないふりをしているかが、浮かび上がる。
これは経験機械という思考実験とも響き合う。「完璧に幸福に見える未来に、あなたは本当に住みたいか」——デザインフィクションが問うのも、結局のところ同じことかもしれない。
思考を刺激する問い
- あなたの業界が20年後に発行するかもしれない「架空の利用規約」を書くとしたら、そこにはどんな条項が並んでいるか
- 「良い未来」を設計しようとするとき、誰の視点からの「良さ」を採用しているか
- デザインフィクションで描いた未来に「自分は住みたいか」と問うとき、何が判断基準になっているか
- 技術は問題を解決すると同時に、どんな新しい問題を生み出すか——5年後の自分たちは、今の自分たちの何を後悔しているだろうか
- もし明日、自分の会社の製品がある架空の未来のニュースで「社会問題の一因」として報道されたとしたら、その記事は何を書いているか
参考・引用文献
- Sterling, B. (2005). Shaping Things. MIT Press. — デザインフィクションという語が初めて提唱された著書
- Bleecker, J. (2009). Design Fiction: A Short Essay on Design, Science, Fact and Fiction. Near Future Laboratory. nearfuturelaboratory.com/design-fiction/ — ブリーカーによる実践的定義の原典
- Dunne, A., & Raby, F. (2013). Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming. MIT Press. — クリティカルデザインとデザインフィクションの関係を体系化した基本文献
- Near Future Laboratory. TBD Catalog (Things to be Determined). — ミシガン大学との共同制作によるデザインフィクション作品集
- Candy, S., & Dunagan, J. (2017). Designing an Experiential Scenario: The People Who Vanished. Futures, 86, 136–153. — デザインフィクションの教育的・実践的効果を検証した査読付き研究